この項目は、16世紀の宣教師から始まる日本語学習、戦前・戦中に台湾・朝鮮半島・満州国・南洋群島・東南アジアで行われた日本語教育、そして戦後の留学生受け入れから日本語教育推進法までを、「どこで・だれが・どんな教え方で」の3点で整理する回。
50項目講座の第4回は、「社会・文化・地域」の区分から「日本語教育史」です。
今の日本語教育は、400年以上の歴史の上に成り立っています。
その中には、外国人が自分から日本語を学んだ時代もあれば、日本の支配のもとで日本語が教えられた時代もあります。
歴史を知ることは、学習者の背景や、日本語に対する思いを理解する土台になります。
動画で学ぶ「日本語教育史」(約7分)
この回の要点を、LULUとHARUの会話で約7分の動画にまとめました。
通勤中や家事の合間に、耳で聞くだけでも復習できます。
最後の確認クイズ2問で、覚えたかどうかを試してみてください。
この項目で求められること
文部科学省のコアカリキュラムでは、この項目の到達目標を「国内外の日本語教育の歴史(戦前・戦中・戦後)について理解している」としています。
試験では、人物と、その人がかかわった場所・学校・教え方の組み合わせがよく問われます。
この回では、時代と地域ごとに、次の流れで整理します。
- 16〜19世紀:宣教師や漂流民、清国からの留学生など、外国人が日本語を学ぶ
- 戦前・戦中:日本が支配した地域で、日本語が「国語」として教えられる
- 戦後:留学生や研修生の受け入れから始まり、日本語教育が専門の分野として育っていく
- 現在:生活者としての外国人や子どもへの支援、日本語教育推進法へ
ポイント① 日本語教育のはじまり
イエズス会の宣教師
日本語学習のもっとも古い具体的な記録は、16世紀、キリスト教の宣教師が日本に来た時代のものです。
カトリックの修道会であるイエズス会の宣教師にとって、布教のために日本語を身につけることは、とても大切な課題でした。
宣教師たちがポルトガル語でまとめた日本語の辞書が『日葡辞書』(にっぽじしょ)で、当時の日本語の発音や語彙を知るための貴重な資料になっています。
イエズス会の日本語研究の中心になったのがジョアン・ロドリゲスで、文法書の『日本大文典』と、初心者向けの『日本小文典』をまとめました。
漂流民デンベイとロシア
江戸時代に鎖国が進むと、大きな船をつくる技術や遠洋航海の技術がのびず、嵐で海外に流される人が多く出ました。
その中には、外国で日本語を教える人も現れます。
記録に残る早い例が、1696年にカムチャツカ半島に流れ着いたデンベイ(漢字は不明)です。
東アジアとの交流に関心を持っていたロシアは、漂流民を保護し、彼らを通じて日本語教育や日本研究を進めました。
清国からの留学生と松本亀次郎
明治時代に入ると、清国(今の中国)から多くの留学生が、自然科学や社会科学を学ぶために日本に来ました。
清国留学生の教育に熱心に取り組んだ教師として知られるのが松本亀次郎です。
松本亀次郎は、留学生のための学校で日本語を教え、留学生向けの日本語の教科書もつくりました。
試験ではこう問われる
- 『日葡辞書』『日本大文典』が何語で書かれたか(ポルトガル語)
- ロドリゲスと『日本大文典』『日本小文典』の組み合わせ
- 松本亀次郎と清国留学生の教育の組み合わせ
ポイント② 台湾の日本語教育
1895年、日本は清との下関条約で台湾を領有しました。
日本は台湾総督府を置き、現地の人々に日本語や日本の文化を教え、日本人としての価値観を植えつける同化政策を進めました。
伊沢修二と芝山巌学堂
台湾の日本語教育を始めたのが伊沢修二です。
伊沢修二は1895年に台湾に渡り、芝山巌学堂(しざんがんがくどう)をつくって、台湾の子どもたちへの教育を始めました。
翌年、日本の統治に反対する人々に教師6人が殺される芝山巌事件が起きましたが、その後も台湾総督府は同化を進める教育を続けました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1895年 | 下関条約で台湾を領有。伊沢修二が芝山巌学堂をつくる |
| 1896年 | 国語伝習所規則を定め、各地に国語伝習所を置く(日本語は「国語」と呼ばれた) |
| 1898年 | 台湾の人を対象にした公学校をつくる(日本人の子どもは小学校、先住民族は蕃人公学校) |
| 1922年 | 新しい台湾教育令で、台湾人と日本人が同じ学校で学ぶ共学が始まる |
| 1941年 | すべての初等教育の学校が国民学校に一本化される(皇民化教育) |
この時代の日本語教育は、日本人の考え方や価値観を植えつけるための手段でした。
新聞の漢文欄がなくなり、役所や会社でも日本語を使うことが求められ、日本語をふだん使う家庭を「国語常用家庭」として優遇する制度もつくられました。
山口喜一郎の山口式直接法
教え方の面で大切なのが、山口喜一郎が開発した「山口式直接法」です。
ヨーロッパで広まっていたグアン・メソッドを応用した、日本語を母語としない子どものための教え方でした。
グアン・メソッドは、フランスのグアンが考えた教え方で、教師が「立つ」「歩く」「ドアを開ける」のような一連の動作をしながら話し、学習者がまねをしたり答えたりしながら覚えていきます。
山口喜一郎は、台湾のあと朝鮮半島などでも、あわせて33年にわたって日本語教育にかかわりました。
試験ではこう問われる
- 伊沢修二と芝山巌学堂、山口喜一郎とグアン・メソッド(山口式直接法)の組み合わせ
- 国語伝習所(1896年)→ 公学校(1898年)→ 共学(1922年)→ 国民学校(1941年)の順番
- グアン・メソッドの特徴(一連の動作をしながら話す)
ポイント③ 朝鮮半島と満州国
朝鮮半島
朝鮮半島での日本語教育は、日本が朝鮮を支配する前から始まっていました。
1891年、日本政府は英語学者の岡倉由三郎を朝鮮に招き、日語学堂をつくって、本格的な日本語教育を始めました。
日語学堂は、のちに日語学校にまとめられます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1891年 | 岡倉由三郎が日語学堂で日本語教育を始める |
| 1906年 | 新しい学制で、日本語(「日語」と呼ばれた)が義務教育の教科になる |
| 1910年 | 韓国併合。1945年まで日本の統治が続く |
| 1937年〜 | 日中戦争のあと皇民化政策を強める。「内鮮一体」のスローガン |
| 1938年 | 第三次朝鮮教育令。日本人とほぼ同じ教育課程に |
| 1942年・1944年 | 国語普及運動、徴兵制の実施にともなう国語常用・全解運動 |
日本語は、学校だけでなく、ふだんの生活でも使うよう強く求められました。
1942年の国語普及運動と、1944年の国語常用・全解運動は、徴兵の対象になる朝鮮の青年に日本語を身につけさせることを目的としていました。
「国語常用」はふだんの生活でも日本語(当時は「国語」と呼ばれた)を使うこと、「全解」はすべての人が日本語をわかるようにすることを意味します。
国民学校を出ていない人のためには、特別な訓練所もつくられました。
満州国
1932年につくられた満州国では、日本語教育が国の政策として、初等教育から高等教育まで取り入れられました。
教師は日本本土(内地)や台湾、朝鮮から送られましたが、多くは経験がなく、教育の質が問題になりました。
そこで興亜院が内地で研修を行うなど、教師の養成に取り組みました。
直接法・対訳法・速成式
教え方では、目標の言語だけを使って教える直接法がよいとされていましたが、実際の授業では中国語を使って説明する対訳法が中心でした。
そこで大出正篤(おおいでまさひろ)が考えたのが、速成式と呼ばれる教え方です。
| 教え方 | 特徴 |
|---|---|
| 直接法 | 目標の言語(日本語)だけを使って教える |
| 対訳法 | 学習者の母語(中国語)で訳しながら教える |
| 速成式(大出正篤) | 中国語訳のついた教科書で家で予習し、授業は日本語だけで進める |
1945年に日本が敗戦すると、満州国はなくなりました。
混乱の中で多くの開拓民が取り残され、親を失った子どもたちは残留孤児となり、戦後長く、帰国の支援や日本語の学び直しが大きな問題として残りました。
この人たちの帰国と日本語支援については、第2回の日本の在留外国人施策で扱った「中国帰国者」とつながっています。
試験ではこう問われる
- 岡倉由三郎と日語学堂(1891年)の組み合わせ
- 国語普及運動(1942年)・国語常用・全解運動(1944年)の年と目的(徴兵の対象になる青年に日本語を身につけさせる)
- 大出正篤の速成式の特徴(家で対訳つき教科書で予習し、授業は日本語だけ)
ポイント④ 南洋群島と東南アジア
南洋群島
南洋群島とは、今のミクロネシアのあたりにある、サイパン島やパラオ諸島などの島々のことです。
第一次世界大戦のあと、日本の委任統治領となり、本格的に教育の制度が整えられました。
特に、南洋庁が置かれたパラオでは、すべての子どもに義務教育を行い、授業は日本語で行われました。
日本から移り住む人が増えると、日本人の子どものための小学校もつくられ、1930年代後半からは皇民化教育が強められていきました。
今も残る日本語
戦後、日本の支配は終わりましたが、日本語の教育を受けた世代の中には、今も日本語を話す人がいます。
パラオでは、日本語がもとになったことばが今も使われていて、「ケンサ(検査)」「デンワ(電話)」などは、そのまま現地のことばになっています。
また、パラオのアンガウル州では、州の憲法で日本語が公用語の一つとして定められています。
東南アジア
太平洋戦争中、日本は東南アジアの広い地域を占領し、軍による統治(軍政)の一つとして日本語教育を始めました。
1942年には「南方諸地域日本語教育並日本語普及ニ関スル件」を閣議で決め、南方での日本語教育を本格的に進める体制を整えました。
しかし、軍が進出したあとに急いで始められたため、地域の事情に合った方針や長い計画はほとんどなく、戦況が悪くなる中で短い期間で終わりました。
試験ではこう問われる
- 南洋群島が日本の委任統治領だったこと、南洋庁がパラオに置かれたこと
- パラオのアンガウル州で日本語が公用語とされていること
- 東南アジアの日本語教育が短い期間で終わった理由
ポイント⑤ 戦後の日本語教育
国語の改革と留学生の受け入れ
1945年の終戦のあと、国語審議会で当用漢字表や現代かなづかいが決められ、日本語の表記がわかりやすく整理されました。
同じころ、外国人に対する日本語教育が、新しい形で始まります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1954年〜 | 国費留学生の招致が始まる。コロンボ・プランで各国から研修生を受け入れる |
| 1960年代〜 | 戦後賠償の一部としてインドネシアからの留学生を受け入れ、日本語教育を行う |
| 1960〜70年代 | 経済成長とともに、アジアを中心に日本語学習の需要が高まる。外務省や国際交流基金が海外の日本語教育を支援 |
| 1968年・1972年 | 小笠原諸島の返還、沖縄の本土復帰。ことばや教育の体制をどう整えるかが課題に |
| 1980年代 | 日本語教育能力検定試験が始まるなど、教師の養成と研究が進み、日本語教育が専門の分野として確立していく |
| 1990年代〜 | 在留外国人が増え、生活者としての外国人や、外国にルーツを持つ子どもへの日本語支援が課題に。継承語教育の大切さも議論される |
| 2019年 | 日本語教育の推進に関する法律の公布・施行。国や自治体で日本語教育の体制づくりが進む |
コロンボ・プランは、第二次世界大戦のあと、もっとも早くつくられた開発途上国を援助するための国際機関で、正式な名前は「アジア及び太平洋の共同的経済社会開発のためのコロンボ・プラン」です。
継承語とは、親から受け継いだことばのことで、日本で育つ子どもが、家族のことばも学び続けられるようにすることが大切だと考えられるようになっています。
そして2019年の日本語教育推進法のあと、2024年には登録日本語教員の制度が始まり、今の日本語教員試験につながっています。
試験ではこう問われる
- コロンボ・プランの説明(戦後もっとも早い開発途上国援助のための国際機関)
- 国費留学生(1954年〜)、インドネシアの賠償留学生など、戦後すぐの受け入れ
- 1990年代以降の課題(生活者としての外国人・子ども・継承語)と、2019年の推進法
学習者はここでつまずく
そのため、学習者の出身地や家族の世代によっては、日本語に対して複雑な思いを持っていることがあります。
たとえば、祖父母が戦前に日本語を学んだ家族の話を聞いて育った人もいれば、アニメや仕事、留学をきっかけに、前向きな気持ちで日本語を学ぶ人もいます。
確認クイズ(5問)
答えを考えてから、「答えを見る」を押してください。
Q1. イエズス会のジョアン・ロドリゲスがまとめた日本語の文法書はどれ?
① 日葡辞書 ② 日本大文典 ③ 速成式標準日本語読本 ④ 国語伝習所規則
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正解:② 日本大文典
ロドリゲスは、初心者向けの『日本小文典』もまとめています。『日葡辞書』は宣教師たちがポルトガル語でまとめた日本語の辞書です。
Q2. 1895年に台湾に渡り、芝山巌学堂をつくって日本語教育を始めた人物はだれ?
① 伊沢修二 ② 山口喜一郎 ③ 岡倉由三郎 ④ 松本亀次郎
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正解:① 伊沢修二
山口喜一郎はグアン・メソッドを応用した直接法、岡倉由三郎は朝鮮の日語学堂、松本亀次郎は清国留学生の教育で知られています。
Q3. フランスのグアンが考えた、教師が一連の動作をしながら話し、学習者がまねや問答をしながら覚える教え方を応用したのはだれ?
① 大出正篤 ② 山口喜一郎 ③ 伊沢修二 ④ ロドリゲス
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正解:② 山口喜一郎
「山口式直接法」と呼ばれ、日本語を母語としない子どものための教え方でした。
Q4. 満州国で大出正篤が考えた「速成式」の説明として、正しいものはどれ?
① 授業はすべて中国語で説明する
② 対訳つきの教科書で家で予習し、授業は日本語だけで進める
③ 教師が動作をしながら話し、学習者がまねをする
④ 文法の説明を中心に、翻訳の練習をくり返す
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正解:② 対訳つきの教科書で家で予習し、授業は日本語だけで進める
当時の授業で中心だった対訳法に対して考えられた教え方です。③はグアン・メソッドの説明です。
Q5. 州の憲法で、日本語が公用語の一つとされているのはどこ?
① パラオのアンガウル州 ② ハワイ州 ③ サイパン島 ④ 台湾の台北
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正解:① パラオのアンガウル州
パラオには、南洋庁が置かれ、日本語で教育が行われた歴史があります。
まとめ

- はじまり:イエズス会の『日葡辞書』、ロドリゲスの『日本大文典』、漂流民デンベイ、清国留学生と松本亀次郎
- 台湾:伊沢修二の芝山巌学堂(1895)→ 国語伝習所 → 公学校 → 国民学校、山口喜一郎のグアン・メソッド
- 朝鮮半島:岡倉由三郎の日語学堂(1891)、皇民化政策、国語普及運動(1942)
- 満州国:対訳法が中心 → 大出正篤の速成式。南洋群島:パラオのアンガウル州で今も日本語が公用語
- 戦後:国費留学生とコロンボ・プラン(1954〜)、検定試験、生活者としての外国人、日本語教育推進法(2019)
第4回では、16世紀から現在までの日本語教育の歴史を、地域と時代ごとに学びました。
次回の第5回「言語政策」では、国や社会が、ことばについてどんな決まりや取り組みをしてきたのかを見ていきます。
講座の全体は、50項目講座の目次から確認できます。
※年や制度は、文部科学省・国際交流基金などの公表資料と、日本語教育史の一般的な資料にもとづいてまとめています。到達目標は、文部科学省「登録日本語教員 実践研修・養成課程コアカリキュラム」の必須の教育内容から引用しています。項目の論点は、その解説書の章立ても参考に整理しています。